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updated 2024-05-05

上原一馬 2020年のブログ
UEHARA Kazuma's Blog


 

2020.12.20

QUEST 寺島徹 NAGANOスローライフ 

 
寺島徹

 
「QUEST」を観に長野市のホクト文化ホールへ。
 ここ何年か、毎年足を運ばせてもらっている展覧会だ。
 
この展覧会の出品制限は、ほぼ無いようなもの。
それぞれの作者が、一年間の作品の蓄積をぶつけてくる。
 
今年、気になったのは、寺島徹さんの作品。
 
少女の木彫を中心に、自然素材を取り入れた作品群が、インスタレーションのように展示されている。
 
主役の少女像は、単純化されたフォルムで、可愛らしく作られている。
木独特のマットな質感や、クリーミーな色合いがいい。
近くで見ると、表面が彫刻刀でていねいに彫り込まれている。
 
椅子は、鉄部分は錆びた廃材を利用し、
座板や背もたれは、リノベーションされているのだが、
それらは、手彫りの彫刻や細かな刺繍が施されている。
完全1点もの、実用性のない家具だ。
 
布などは草花の染料で染めることもあるのだという。
 
なんとゆっくりとした制作スピードだろう。
しかし、日々を愛しむように着実に作業は進められていく。
 
長野の自然の中でしか作れない作品だ。
大自然の中で、日向ぼっこしながら制作する作者の制作風景が目に浮かんだ。
 
「こんな風に生活できたらいいな」
そんな、都会人の憧れが詰まった作品群だ。

 

2020.11.07

小林一夫 クネクネと伸び ユラユラと漂う

 
小林一夫

 
小林一夫彫刻展「クネクネと伸び ユラユラと漂う」へ。
元麻布ギャラリー佐久平では、2ヶ月連続の地元現代作家の個展だ。
 
会場全体を使ったインスタレーションのような作品。
 
木のツルのように伸びた作品は、線香から出る煙のようでもあり、巻貝のようでもある。
近づくと繊細な木工の作業が施されている。
 
土台となる部分は石でできていて、滑らかな食べ物のよう。
 
床に小さく散りばめられた作品群も、一つ一つが愛らしいマーブルの置物だ。
 
小作品も数多く展示されていて、手乗り盆栽もような、生命感と愛らしさがあった。
 
髭と白髪の長髪、まさに彫刻家の風貌の作家が、ギャラリーにいた。
ゆっくりと、何か別世界と交信するように、しかし丁寧に、作品について説明してくださった。
 
小作品のチョコレートのような石は、海外からも取り寄せるのだという。
 
会場においてあったパンフレットには、野外展示の様子の写真もあった。
大地と広い空にも、この作品はとてもマッチする。
 
自然の力を借りながら、石や木を掘る。
そんな彫刻家の姿が目に浮かんだ。

 

2020.10.10

油井祥子 空白の風景

 
油井祥子

 
油井祥子作品展「此方側で今日を生きている人へ」を観に、元麻布ギャラリー佐久平を訪れた。
 
油井さんとは、今春、展覧会でご一緒するはずだったが、コロナのため中止に。
個展ならば見させていただこうと、出かけた。
 
油井さんは、東京藝大に入るために5浪しているそうだ。
昨年、卒業したばかり。
 
藝大に入るまで、やはり努力の量が普通とは違う。
毎日、長時間描き続ける、忍耐力。
短時間で描き切る制作スピード。
そして、作品作りを行うまでの思考の積み上げ方。
 
藝大生は、秀でているものがある。
 
だが、油井さんの作品からは、スピード感は感じられない。
しかし、その分、作業は密度に変わっている。
 
制作の前に、多くの探索の旅をし、
ていねいに積み重ねた作品だ。
 
だが、作品となったその風景には、何もない。
ただ目に映る風景がそこにあるだけなのだ。
 
「空白の風景」。
心にぽっかりと空いた空白のような風景が、そこにあるだけなのだ。
 
心の空白を埋めるために、空白の風景を描く。
では、そこに現われる絵は何なのか。
 
その不思議な感覚が残った。

 

2020.09.04

山岸恵子展 佇む人-あの日の情景

 
山岸恵子

 
「山岸恵子展 佇む人-あの日の情景」を観に、信州新町美術館へ。
 
犀川を上流へと向かうと、静かな琅鶴湖のほとりに、その美術館はあった。
 
山岸恵子さんと言えば、私が国展に出品し始めた頃に、国画賞を受賞。
力の抜けたその自由な画風は、今も鮮明に覚えている。
 
美術館には、その受賞作も含め、100号を超える大作が並ぶ。
 
軽石の表面のような独特のマチエール(質感)。
そこに、再現不能な、勢いのある筆のストローク。
 
画面の中に、イメージは浮かんでは消え、とらえどころのない夢想空間が描かれている。
 
「屋久島に行ったことがあって、もののけのようなものを感じたんですよ。」
 そう語ったのは、写真の「君のいた森」。
3mを超える作品だ。
 
私が、黒い模様何だろうと、不思議そうに見ていると、
山岸さんが説明してくださった。
 
画面の左は、大きな黒の模様が、黒雲のような怪しさを感じさせる。
右側には、空気のようにぼんやり透き通った人物。
 
イメージの記憶だけが、軽やかに、しかし神秘も交えて表現されている。
中でも印象に残った作品である。
 
遠くまで車できた甲斐があったな...
良い作品との出会いは、何にも言えない宝。

 

2020.08.16

夏のアトリエ

 
上原一馬

 
今、30号の絵を制作中だ。
 
小さめの作品では、大作とは違ったテイストで実験的に制作しようと決めていた。
 
最初はこれ絵になるのかな?と思っていたが、不思議なもので何らかの形に収束していく。
 
油彩による人物描画に入り、下地とのマッチングも考えながら進めていく。
 
当然だが毎日のように、小さなトラブルも発生する。
絵具や筆は、私の思った通りには動いてくれない。
 
おいおい、やりたかったのは、その筆のタッチじゃないんだよな。
 
そうだぞ。さっきの方が勢いがあって良かったぞ。
小さくまとまりやがって。
 
何言ってんだ、現状に甘んじるよりいいだろ。
いつもより結構攻めたんだから、もう一段良くなるぞ。
 
あーあ、こんなんしちゃって。拭き取って0からやり直した方が結果はいいぞ。
いやいや大丈夫、乾いてから描き込めば、絶対いいはずだ。
 
そんなやりとりをしているうちに、時間は過ぎる。
 
ちょっと、疲れてきたな...
今日はこんなもんか?
 
こうして、日々が過ぎていく。
気がつくと、
あれ?結構できてきたのかな?
 
ふと、
外は今日も暑いな。
絵はこのくらいにしておくか。

 

2020.07.04

かつての自分の絵と 大星塗装工業にて

 
大星塗装工業 上原一馬

 
大星塗装工業 上原一馬

 
今日は、長野県佐久市の企業「大星塗装工業」への作品の納品の日。
 
新設された、応接室と社長室に、大作と小作を1点ずつ欲しいとの依頼だった。
 
「一番暗い絵が欲しい」とのことで、
暗めの作品を選び、ポートフォリオを送信した。
 
選んでもらった絵は、まさかの25年前の作品。
90年半ばの、本当に初期の頃の作品2点だった。
「本当にこの絵を飾るの?」と言うようなかつての衝動的な描写の2点である。
 
何とか作品を見つけ出し、額装の準備をした。
 
かつての自分の絵を見ると、自分自身で描いたのに、
もう一人の自分が描いた絵を見るような不思議な気分になった。
 
それから、3週間目の今日だった。
 
案内されて行くと、遠くから大きな真っ黒な要塞のような建物が見えてきた。
新工場は、1000坪の広大な敷地。
広々とした工場の2階に部屋はあった。
 
入ってみると、応接室は、黒い壁にメタリックな家具。
社長室は、コンクリート調の壁に、黒いソファー。
会社と言うより、どちらかというと、かっこいいが怪しげなバーのような雰囲気だった。
 
ガラスケースに展示物があったので、
中身を尋ねると、
映画ランボーシリーズのナイフ全種類なのだという。
??である。
 
会社は、機械部品に焼付塗装を行う、プロフェッショナルな仕事を行っているのだという。
 
すでに、私の作品を展示するために寸法を合わせて壁を作ってくれてあった。
 
壁には傷をつけないでほしいとのことで、慎重に展示作業を進めた。
 
私のわがままも聴いてくれ、途中、近くの壁業者まで呼んでくれて、セッティングを進めた。
 
約2時間ほどで作業が完了した。
作品が飾られた部屋は、怪しさがまたアップしたように思えた。
 
しかし、意外にも社長の反応は「感動した」「大切にさせていただきたい」という好評価だった。
 
予想もしない形で作品が必要とされ、予想もしない感謝をされる。
何とも不思議な感じの日だった。

 

2020.06.27

ひれ伏すしかない抽象画 高田三徳

 
高田三徳

 
 私は抽象画も好きである。
 
しかし、できれば作品が欲しいと思うような、好きな抽象画家となると、数えるほどしかいない。
 
その中の一人が、国展の高田三徳さんだ。
 
つかみどころのない、現れては消える形体。
どこをとっても美しいマチエール(質感)。
 
高田さんの作品の前では、「まいった」の一言しか出てこない。
素晴らしすぎて、もはやひれ伏すしかないのだ。
 
高田さん本人は、ある日私の前に、アンディー・ウォーホルのような白髪のロン毛、おしゃれな太ぶちのメガネで登場した。
 
「おー、やっぱりすごい!」
と、思ったのだが、ん??
 
Tシャツもスタイリッシュ。
だけど、その薄汚れたスニーカーは??
もっとイカした革靴とか履けばいいのに...
 
話始めるとまた、独特。
話べたなのに、懸命な感じが、何とも憎めない。
 
この、何の仕事をしているのか分からない感じが、高田さんらしさ。
 
広島に住んでいるということで、
「遠くからですが、上京した時はどうされているんですか?」
との質問に、
「妻とは離縁しちゃってるんですが、東京の娘のところに泊まっていているんですよ!」
 
ん??今、すごい事をさらっと言っていましたけど。
でも、高田さんのキャラクターなら、あり得るような気がする。
 
この破天荒な雰囲気と、作品の自由な完璧さが、高田さん。
 
その後も、様々な抽象画を見てきたが、やはり高田三徳の作品にはかなわない。

 

2020.05.23

印象派の異端 ジョヴァンニ・ボルディーニ

 
ジョヴァンニ・ボルディーニ

 
見てみたい名画を挙げるとしたら、ジョヴァンニ・ボルディーニ の、この作品「マダム・ガブリエルの肖像」だ。
 
一度、都内の美術館で、別の作品をたまたま1点だけ見て、すっかり虜になってしまった。
 
印象派の画家であるが、それほどメジャーではない。
しかも、印象派に分類されながらも、彼の作風は他の作家とは似ていない。
 
まずは、屋内のみを描いていること。
そして、短めのタッチの集積ではなく、素早いドローイングのような線を走らせていることだ。
 
私たちが、鉛筆やコンテを使い、デッサンをするように、
彼は、油彩でデッサンをする感覚で描いていたのでは、と思ってしまう。
 
直感的に走らせる筆跡の中に浮かび上がる、なんとも言えない女性の魅力。
 
今、この瞬間をとらえようとする、鋭い感性がヒシヒシと伝わってくる。
 
芸術が最も栄えていた、1800年代後半のパリで、彼はまさにお祭りのような毎日を送っていた。
 
夜ごとにシルクハットに身を包み、社交場へと出かける。
そこにはいつも、酒とともに、にぎやかな音楽と、まばゆいダンスがあった。
そこで出会う有名人や上流階級の人々を描いた。
 
彼自身、時には、とてつもない美しい女優との恋愛もあった。
 
その熱気あふれる芸術の都に、彼はいた。
絵からは、今の日本にはないような、その熱が確かに伝わってくる。

 

2020.04.29

横尾忠則 Y字路

 
横尾忠則

 
コロナ禍の中、外出もできず、たまりにたまった過去の参考資料を整理する時間ができた。
 
過去のA4のクリアファイルの中には、当時の自分の感性に引っかかった作家の作品写真や、雑誌の切り抜きなどがどっさり。
 
その名も "Idia File" 1年間に数冊ずつ増えていくため、棚を占領している。
収集年が背表紙に書かれている。
 
今見て、何も感じないものは、捨てる。
作品資料としては使う予定がないものは、スキャニングしてデータ化。
 
それ以外のものだけが、新たな入れ替え可能なファイルに残る。
 
捨てようとして、手が止まる作品。
しかし今後、自分の作品の参考になるとも思わない。
 
つまり、使い道がないのに、どうしても捨てられない絵。
 
その一つがこの横尾忠則の絵の切り抜きだ。
グラフィックデザイナーでもある横尾氏が、デザインから距離をおき、
画家として活動していた頃の「Y字路」シリーズの一枚だ。
 
このシリーズでは、とにかく様々なY字路が登場する。
 
AかBか、選択を迫られる岐路。
揺れ動く不安な感情を、この絵は表現しているのだろう。
 
20年ほど前に出会ったこの絵が、今だに脳にこびりついて離れない。
 
迷いの感情を抱きながら風景を見ていると、なぜかこの絵を思い出す。
 
少し考えた結果、また私の"Idia File"の中に戻す。
結局、横尾忠則の「Y字路」は、また私のもとに残ることになった。

 

2020.03.27

幻の展覧会

 
信州国展

 
新型コロナウィルスの影響で、「信州国展」が中止となった。
 
会場となるはずだった松本市美術館も3月の休館が続いている。
本来ならば、25日に展覧会初日を迎えるはずだったが、静かな日を過ごしている。
 
全て準備が整い、あとは楽しみしていたトークイベントの、セリフを考えるくらいだったが、当然イベントも中止だ。
 
同期開催を予定していた、新人作家の展覧会「新しい眼」も今回はできなかった。新しい感性との出会いは、本当に楽しみにしていたのに残念だ。
 
さらに、速報で、なんと母体となる国立新美術館での「国展」の中止も決まったようだ。
 
戦争により中止した昭和20年以来のことだ。
 
3月の白日展、4月の春陽展と、代表的な大型展がことごとく中止になり、いよいよマズいとは思っていたが、まさかのできごとが起きた。
 
ことごとく発表の機会を失うこととなってしまった。
 
しかし家からも出れず、制作の時間はたっぷりとできた。
今は制作の時間を与えられたと考えて、来るべき発表の時に備えて行きたいと思う。

 

2020.02.11

赤羽雄太+疋田義明

 
赤羽雄太

 
地元長野の元麻布ギャラリー佐久平へ。
佐久市で、新しいアートを発信し続けているギャラリーだ。
 
赤羽雄太さん(彫刻)と疋田義明さん(絵画)の二人展が開催されるというので、足を運んだ。
二人とも若い、これからの長野のアートシーンを作っていくような作家だ。
 
赤羽さんの彫刻は、写真の作品が気に入った。
木彫と石粉粘土で作られたモノトーンの作品だ。
 
妙に機械的でもあり、妙に生命感も感じる。
これからAI時代を生きていく子どもを表現したかのような、不思議な空気感を感じた。
 
疋田さんの絵画は、大作からドローイングまで、かなりの数が展示されていたが、
ドローイング作品が特に面白かった。
 
その辺にある、裏紙や包装紙、箱がみの裏に、アクリルやクレヨンで描き、それらを組み合わせた作品だ。
 
肩の力を抜いて、しかし鋭い感性で直感的に、日常で見たものと空想の世界を組み合わせて描いたその作品群には、目をみはるものがあった。
 
二人のこれからに注目していきたい。

 

2020.01.31

東京藝術大学卒業・修了作品展 齋藤詩織 憂鬱と希望

 
齋藤詩織

 
東京藝術大学の卒業・修了作品展を観に東京・上野へ。
毎年、忙しくても足を運んでいる展覧会だ。
とにかく、作品がホットで勢いを感じる。
新しい感性に出会える展覧会だ。
 
今年、私が気になった作家は、齋藤詩織。
絵画棟の一室に多くの作品を個展形式で展示していた。
 
彼女の作品を目にして感じたのは、
「この感じなんか分かるんだけど、なんだっけ」
という感覚だった。
 
なんとも名前をつけようのない感情。
あえてつけるとすると、「憂鬱と希望」。
 
曇り空。カラスの群れ。
しかし、何もない地平はビビットで、何か生まれて来そうな予感。
 
暗い風景に飲み込まれそうになりながらも、
そこに希望を見つけようとする、そんな気持ちの揺れ動きだ。
 
筆ざばきもスピード感にあふれている。
ほとんど一度塗りで、筆跡を残しながら決める手法もにくい。
 
風景を雑に通り見過ごしたり、
ある時は、ていねいに受け止めたりする、
日常の無意識が表現されている。
 
何気ない絵画表現の中に、新しい感性を見た。