絵画作家 上原一馬 ウェブサイト

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updated 2024-05-05

上原一馬 2021年のブログ
UEHARA Kazuma's Blog


 

2021.12.25

本島雅之 雨の情景

榎俊幸

 
「QEST」を観に長野市のホクト文化ホールへ。
 
この展覧会を観に行くのは、ここ何年かの年中行事になってきている。
やはり毎年、力作が期待できるからだ。
 
今回、目を引かれたのは、本島雅之さんの作品だ。
 
写実的にていねいに描かれた作品で、一目でその描き込みでに吸い込まれた。
 
一瞬の目の錯覚。
「ん?滴(しずく)?」
そう車内から、雨の水滴の向こうの、曇り空の風景を描いているのだ。
 
雨の日は誰にとっても、気分が良いものではない。
どちらかといえば、マイナスの感情にリンクする。
この絵は、そのマイナス感情を揺さぶる。
 
車窓にしたたる水滴。
子どもの頃、その不思議な動きをずっと眺めていたことを思い出した。
そんな不思議な水滴の魅力。
 
描写がすさまじい。
こんな水滴の場面なんて、面倒臭くて誰も描かないだろう。
だいたいからして、全部描けた上から水滴を描いて、つぶしていくのだ。
そんなこと普通やる気にならない。
そこにあえてチャレンジしたことの個性。
 
描写の困難さを乗り越えて、たどり着いた絵。
まさにそこには、見ていたはずの日常世界の美しさが隠されている。

 

2021.11.21

大森啓 画家は何を見たか

大森啓

大森啓

 
積木のような絵画。楽しくておしゃれ。
ポップな洗練された画風だ。
見た人をすぐにこの不思議な立体空間に誘う。
 
大森啓先生は、国画会会員。金沢美術工芸大学教官でもある。
今回の講演会の講師だ。
 
デッサンとは、
「見えたものを描く」という受動的な行為ではなく、
 「如何を見るか」という能動的な姿勢によって「何を見たか」を記録することだ。
と述べられていた。
 
本当にその通りだ。
私たちが世界をどう見たか。一人一人違う。
どう感じて、どう見えたのか。
その方法は、絵画かもしれないし、立体や映像かもしれない。
作品にそれを表現していくことが大切なのだ、とあらためて感じた。
 
大森啓

 
講演の中では、有色下地への立体的描画法も、詳しく解説していただいた。
暗部は薄塗りが重ねられ、
明部はホワイトが厚塗りされる。
感覚的に行なっている作業だが、システマティックに行うことで、もっと表現に力点を置けるような気がした。
 
大森啓

大森先生は、大学にお勤めになる前、高校教師をされていたのだが、
年に6回の個展・グループ展をしていたこと。
国展初入選から教官になるまで、その時の時間の生み出し方も話していただいた。
 
コツコツとした熱量を感じる、有意義な話を聞けたと思う。

 

2021.10.23

榎俊幸の職人技

榎俊幸

 
私が、技法的に影響を受けた作家を一人あげるとすると、榎俊幸氏だ。
 
2004年、長野県の「おぶせミュージアム」開かれていた個展が最初の出会いだ。
この個展では、食い入るように画面を何度も見た。
 
とにかく絵肌が美しい。
漆工芸のような美しさなのだ。
絵が描いてなくても美しいのではないか、と思うほど美しいのだ。
 
彼の技法は、アクリル絵具+モデリングペースト(盛り上げ剤)の重ね塗りと、サンドペーパーによる研ぎ出しにある。
 
何度も削られた画面は、なんとも言えない独特の風合いを持ち始める。
 
その上には、水溶性油絵具のDUOで描かれる。
下地との光沢感の違いを出しすぎないように、しかし、油絵具の遅乾性によってリアルさも持ち合わせて、この画材を選んだのであろう。
 
下地と描写のマッチングもうまい。
不自然な感じが出ないように、下地を残しつつ、リアルに描写されていく。
 
画家の才能と、工芸家の才能の二つをもつ榎氏だからこそ、この絵画は成り立つのだ。
 

 

2021.09.26

平成の絵師 山本タカト

山本タカト

 
山本タカトとの出会いは学生時代。
 
廊下に貼ってあった「山本タカト展 平成耽美館」のポスターは、日々見る度に気になる存在になってしまった。
事務室に予約を入れ、取り置きしてもらえることになった。
しばらく、怪しく自分の部屋を彩るポスターとなった。
 
一度は、山本タカトのことを忘れていたのだが、
彼の描く細密な線に、制作のヒントがあるような気がして、画集の復刻版をネットで購入した。
 
開いたその本のイラストレーションは、とにかく美しかった。
そして、見てはいけない秘密が隠されているような、そんな本だった。
 
美しくもあるのだが、セクシャルな表現も多い、浮世絵集を隠し持っているようなそんなそんな気持ちになった。
 
「絵師」そんな名前が、山本タカトにはよく似合う。
 
極細の線で描かれた、絵はまさに職人技。
そこに、なんともいえない中間色の和風の色彩がほどこされる。
 
そして、人間の内面を射抜く表現。 
 
脳裏から、どうしても離れない絵なのである。
どうしても、山本タカトの絵が見たくなる時がある。
自分のどうしようもないところを認め、崇高な場所へ導いてくれるような気がするのだ。
 
今年発売された、山本タカトの画集には、こう記されている。
 
「相変わらず社会から逃避するように妄想世界の中で絵を描いている。描く作業に没頭すると次第に意識は絵の内容から離れ、遠い記憶に飛んでその断片的イメージを追うように楽しめるようになる」
 
 彼こそ、まさに本物の「絵師」だ。

 

2021.08.07

ヒグチ ユウコ展 CIRCUS

ヒグチ ユウコ

 
長野県上田市サントミューゼで開催の「ヒグチユウコ展  CIRCUS」へ。
 
町で見つけたチラシと、テレビCMに誘われて、足を運んだ。
チラシには細密なペン画が描かれていた。
 
会場に入った瞬間から、独特の雰囲気。
つまり、ヒグチワールドに一気に引き込まれたわけである。
まさにサーカスの雰囲気を演出していて、さらにその世界観にどっぷりだった。
 
サイズ的には画用紙サイズの作品が多かったが、
圧倒的な作品の数。
そして、その一点一点のクオリティーの高さ。
 
細かな線の集積でできた作品は、異世界の匂いを感じる。
そう、ちょうどサーカスに行った時のような、
楽しくて、ちょっと怖い、あの雰囲気。
 
描きこみは、何か人間技を超越した感がある。
独特の精神世界へと徐々に積み重ね誘っていく方法。
 
猫、少女、一つ目。
キャラクターも全員かわいいが、全員あやしい。
「あやしかわいい」と表現すればいいのか。
 
これらのキャラクターは、ショップでガチャになったりして売られていた。
なんか気になって買ってしまうような、不思議な魅力だ。
 
身につけていたら、
「かわいいー」じゃなくて、「何これー」ってなりそうな、そんな感じだ。
 
会場ではメイキングも上映されていた。
大まかには下書きされているが、いきなり細部から、かなりアドリブで描き込まれていく、独自の制作方法だった。
 
「世界観」そんな言葉が頭をよぎった展覧会だった。

 

2021.07.23

アレクサンドラ・ルバスール 森に迷い込んだ少女

 
スーパークローン文化財展

 
最近気になった作家、
アレクサンドラ・ルバスール Alexandra levasseur カナダの女性画家だ。
 
もの悲しげな少女が、森の中にたたずんでいる。
とてもピュアな印象の少女だ。
 
背景の森はメルヘンな感じもあるが、どこか怪しく不穏な空気が漂う。
 
少女の身に、これから不思議なことか、または怖いことが起こりそうな予感がしてしまう。
 
少女は足をブラつかせ、少し楽しんでいるようにも見える。
しかし、背景の不安定さとが対比され、
よりアンバランスな関係が強調される。
 
彼女の描く絵には、女性像が登場する。
その女性像は、奇妙な背景と不安定に融合している。
 
取り巻く不調和な世界と、その中で健気に強く振舞う女性像。
しかし女性の表情はどこか誇らしげで、その状況を楽しんでいるよう。
 
ちょっと男性である自分には出せない空気感だな、と思ったので、ブックマーク。

 

2021.06.26

幻の第95回国展 注目の作家

 
2021年春の第95回国展は幻に終わった。
無事搬入まで終えた。
審査は人数を限定してではあるが、完了し、入選・受賞者も決まった。
 
しかし、残酷なもので、その直後の、新型コロナウィルス感染拡大による、東京都に出された「緊急事態宣言」。
国立新美術館の休館によって、2年連続で展示ができない事態となった。
 
しかし、搬入すらできなかった昨年と違い、
今年は作品も搬入し、図録写真も撮影済みの段階での中止である。
 
非展示で、図録のみ発行の形になった。
 
展示ができないことには変わりはない。
1年間の血の滲む努力をしてきた、会友や一般出品者の気持ちを考えると、心が痛む。
 
次に挙げるのは、受賞者以外で、私が注目した作家達だ。
レセプションがあったなら、間違えなく話かけていただろう、興味深い作品の作者。
その楽しい時間を過ごすことは叶わなかったが、せめてもの思いで、紹介させていただきたい。
 
 
ヴァイン伸太郎

ヴァイン伸太郎「自我実現」
 
他の作品とはあきらかに違う。
心の叫びが直で伝わってくる。
 
人物はフォトリアリズムの手法で、モノトーンでリアルに描かれている。
極めて現実的な描き方だ。
心を支配する異性からの脱出を表現しているのだろうか。
殻から抜け出そうとする裸体の男性像だ。
 
背景は、アクションペインティング。
心情や状況を、躍動感をもって表現し、刺激的に画面を作り上げている。
 
ストレートな表現に大変共感を抱いた作品である。
 
 
小岩宇美子

小岩宇美子「煩悩」
 
今回の抽象画で一番好きな作品。
白黒で四角形を中心に、なんとも言えない良い構成で描いている。
少しクリームがかった色合いもまた、いい。
 
「煩悩」とタイトルされているが、
よく見ると、現実の誘惑を塗り込めているらしい。
新聞記事や電柱のようなものも見える。
 
日々、心を惑わしてくる視覚、聴覚情報。
我々は、これらを求めるくせに、傷つき思い悩む。
矛盾の生命体だ。
 
そんなもやもやした心の陰を、
みごとに表現している。
 
 
こばやしようこ

こばやしようこ「草の城の主」
 
絵の役割の一つ、安らぎ。
これも、他の作品にはない、オーラのある作品だった。 
 
自然の中にたたずむ少女。
妖精のように純粋だ。
森の草花に降り注ぐ光。
 
水彩チックな、飾りすぎないオーソドックスな技法も、いい。
 
少女が描いたようなピュアな世界。
心に想像した世界を描きたくてしょうがなかったあの頃。
 
絵本や児童文学の中の、夢のようなわくわくする世界。
こんな世界もあるんだと、少女の心は、ときめいた。
 
いつからか忘れてしまうもう一つの世界。
大事な思いも、大人の現実に飲み込まれていく。
 
しかし、たまには味わっても良いではないか。
それが、できるのが美術だ。
 
大切な思いを忘れずに、描き続けてきた作家の秀作だ。

 

2021.05.05

長野県立美術館 スーパークローン文化財展

 
スーパークローン文化財展

 
ゴールデンウィークの最終日、をあえて狙い、密を避けるように、新しくできた「長野県立美術館」へ。
 
どうしても観たかった展覧会、「東京藝術大学 スーパークローン文化財展」へ。
 
東京藝術大学のすごさは、新しい美術を生み出す環境ばかりではない。
文化財保存専攻の教員や学生の技術力の高さにある。
 
東京藝大の卒業制作展は、もう何度も観てきたが、修復や複製作品のクオリティーの高さには、驚かされる。
 
今回は、あの法隆寺釈迦三尊像のクローンということで、これは観にいかなければという思いを抱いていた。
 
まずは、新しい美術館の素晴らしさに驚く。
かっこいい。おしゃれ。なんと言っていいか、すごく居心地のいい美術館空間になっている。
 
迷路のような会場の先で展覧会は行われていた。
 
法隆寺釈迦三尊像はまず、金ピカの当時の復元のものから。
今とは、全く違った表面の豪華さだ。
当時の人は、きっとこの姿を拝んでいたのだろう。
 
周りの壁画は。ん?これも複製で描いたもの?
よくできているなあ。
でも、よーく観てみるとプリントされているような気がしないでもない。
どうも、プリント加工されたものに顔料系の絵具で加筆されたものらしい。
言われなければ、わかんないよこれ。すごい。
 
次は、現在の経年劣化した趣きのある、釈迦三尊像の復元作品。
つまり、ボロボロの状態のものをコピーしたもの。
本物じゃん、これ!と思うくらい、錆などの風化具合いも再現されている。
しかも、本物だったら絶対できない細部ものぞくことができる。
 
これらの、クローン作品は、3Dプリンタで、A4サイズで型を作り、
熟練の職人達が鋳造したものを、藝大の研究者達が、表面処理したものだ。 
 
他にも、敦煌やバーミヤンの仏像彫刻や壁画が展示されていた。
 
映像に出てきた教授のかたが、
「文化財は、いずれ壊れ朽ちていくし、すでに消失した物もある。それを、クローンの形で再現し、再び保存して継承していくことに、この展覧会の意味がある。」
とおっしゃっていた。
 
培われた技術は、文化財産の継承の役割も担っている。

 

2021.04.29

岡田菜美 彼女が見た印象色

 
岡田菜美

 
岡田菜美の絵を見た時、驚いてしまった。
 
あまりにも、カラフルで、爽やかで、快い。
自由で、開放感を与えてくれる絵だ。
 
よく見ると、道路で、自転車を押しながらはしゃぐ、女子たちが描かれている。
旅行などの一場面なのだろうか。
背景には、広がる海や青空があるように想像は広がる。
画面は、楽しさと笑顔であふれている。
その一瞬の空気を見事にとらえている。
 
人物の形体を残しつつも、
素早い筆のストロークで、現実とは違う、印象色を使い、描いていく。
 
その色は、風なのか、花なのか。
初夏の空気を感じる。
 
美術作品には、 雰囲気をパッと明るくしてくれる、そんな作品があると思う。
部屋にあったら、生花のように、心を明るくしてくれる、そんな作品。
 
最近では、家で過ごすことも多くなった。
こんな作品を飾ったら、ちょっと気分も変わるような気がする。
 
明るい未来を期待させてくれる、それが岡田菜美の作品の魅力だ。

 

2021.03.19

尾花賢一 心の奥の自画像

 
尾花賢一

 
筑波大学の後輩にあたる尾花賢一君がVOCA賞を受賞したと聞いた。
 
 VOCA賞は、日本の現代美術の最高峰のコンクールだ。
奈良美智や村上隆らがこのコンクール出身であることを振り返ると、いかにすごい展覧会であるかが知れる。
 
「上野山コスモロジー」。
文化が集まる上野。しかし、一方では、浮浪者の集まる場所でもある。
この両極の、実に怪しい、何か奥に隠されているような、上野の雰囲気を表現したような作品だ。
 
表現もまた、独特。
絵も漫画も好きな、美術のカテゴリーを知らない、絵の好きな日本人が描いたような作品だ。
 
漫画のクライマックスシーンの絵を切り取り、額に入れたらこんな絵画になりそうだ。
 
じっくり見ても楽しめる作品だ。                                                            
大石膏室の上の薄暗いスペース。
下の学年の学生たちが押込められた、物置のような劣悪なアトリエ空間。
大学時代、尾花くんは、講義が終わった夕方遅く、いつもそこにいた。
 
同じ学年の者たちは、バイトやカラオケ。
受験から開放された青春を謳歌していた。
 
しかし、彼は静かにいつも描いていた。
今とは全く違う、怪しい人物の群像。
心の奥の魔物を描いた自画像のような気がした。
 
お世辞にも上手とは言えない。
でも、ひたすらに。
 
話かけると、一言二言、ニコニコと答えてくれた。
その表情が今も印象的だ。
 
あれからも、ずっとそんな感じで、目立たずコツコツ描いてきたのだろう。
 
今、大きく花開いた、尾花賢一の作品。
今後を心から応援したい。
 

 

2021.02.15

シンビズム4 実力作家達の共演

 
シンビズム4

 
「シンビズム4」を観にサントミューゼ・上田市立美術館へ。
 
ここのところ毎年開催のシンビズム。
熱い作家達の作品が観れるので、毎回楽しみにしている。
 
会場に入ると、まずは、小山利枝子さんの作品が目に飛び込んできた。
200~300号の大作が会場を埋める。
すごい迫力だ。
そして美しい。
これがアクリル?
そうは思えない透明感で、優しくも情熱的な絵だ。
筆の勢いはそのままに、花なのか気流なのか分からない、生命力が描かれている。
 
戸谷成雄さんの彫刻空間。
どこかの荒野の森に迷い込んだようだ。
 
廊下には母袋俊也さんの100号絵画の迷路。
筆はクールに風景を描き出す。
 
亡くなられたばかりの辰野登恵子さんの絵画。
極めてシンプルにそして深く、自分の表現を追求してきた作家だ。
 
こんな実力派は集結する展覧会も珍しい。
おすすめしたい展覧会だ。

 

2021.01.10

長岡國人展 脱皮する大地・浅間山 

 
長岡國人

 
「長岡國人展 脱皮する大地・浅間山」を観に佐久市近代美術館へ。
 
ポスターではどんな展覧会か分からなかったが、何となくこれは良さそう、という気がしたので観に出かけた。
 
まず、「すごい」と感じたのが、和紙のマチエール(質感)を生かした作品群。
 大作が並び、さらに巨大な立体的な作品もあった。
 
素材を見ると、「蚕の繭の袋」と書いてある。
かつての長野県の産業で、今は多くのこの和紙の袋が不要になっているのだろう。
厚みがあり、独特の経年の風合いがある。
 
さらに、なんとも言えないのが、色である。
落ち着いた自然の色。
とても絵具の色とは思えない深みだった。
着色はアクリルの他、「柿渋」を使用しているようだ。
「柿渋?」よく分からないが、この色はどうやら柿渋の染めによって出しているようだ。
 
絵具にこだわらず、理想の色や質感を出すために、様々な自然素材を敏感にキャッチしてきたのだろう。
 
作品は、このシリーズで終わりではなかった。
 
風景の要素を取り入れた、クールな銅版画作品。
にじみがかっこいい水彩作品。
その上に鉛筆やペンで描かれた素描作品。
世界各国の石碑を拓本にした作品。
 
それぞれ、技術的にもレベルが高く、作家の多様な表現の幅もすごさを感じた。
思わず顔を近づけて、「近すぎだろ!」という状態で、作品を観賞していた。
 
地元出身の作家のようなので、どこかでお会いできれば嬉しい。